食べていけないとか、普通ありえないから大丈夫。

食いっぱぐれるわけない

世間で耳にする、

「将来、食べていけない」
「食いっぱぐれる」
「ご飯が食べられない」

といった言葉について思うことを書きます。

結論から言うと、こんな言葉間に受けて、心配する必要なんか一切ないってこと。

極端な話、私たちが住む現代の日本という国において、意図的にそういう選択でもしない限り、ご飯が食べられないことなど基本的にあり得ません。

ここで詳しく書くまでもありませんが、もし就労に困難になったとしても、全ての国民が生活の保証を受けられる仕組みが法律で定められています。

ですので、そんな考えを持つこと自体がおかしいです。

ではなぜ、現代においてもこういった言葉が使われているのか、私なりに以下の2つの要因を挙げたいと思います。

1. 勤労意欲を促す謳い文句

ひとつめは経営者など人を雇って働かせる側の立場が、被雇用者つまり従業員へ勤労意欲を促すための謳い文句として利用している節があると思いました。

経営者は利益を上げるため、ときに被雇用者に対し、「食べていけなくなる」をはじめとして、生命の危険や彼ら、彼女らの存在を脅かすような表現を使うこともあります。
(全ての経営者がそうではありません)

しかし、先に書いたことなど含め、冷静に考えれば個人の食の保障と企業や会社の経営状況は本来関係のないことだとわかります。

2. 個人の成長の原動力が誤った方向に飛躍した

ふたつめですが、個人が仕事やキャリアのためのスキルアップを目的とする際、努力をするための動機として「食いっぱぐれない」などが使われている場合があると考えました。

仕事のためのスキルを獲得、技能を向上させる目的はほとんどの人にとって、今より多くの収入を得て、より幸せに生きていくことではないでしょうか。

もちろん、それは尊いことであり、この記事を書いている私自身、今後も大事にしていきたい価値観のひとつであり、とても賛同します。

しかしながら、

「食いっぱぐれないため」

はどこか極端に飛躍した表現で、繰り返し書きますが本来の目的である

「今より多くの収入を得て、より幸せに生きていくため」

とは、言葉の意味も次元も異なることがわかります。

ですので、努力をする動機を勝手に悪い方、悲観的な方向に向けるのではなく、自身が幸せに向かっていると正しい認識をすれば 「食いっぱぐれないため」 のようなネガティブな表現を使う必要などないのです。

まとめ

ここまでで「食べていけない」 が本来持つべき必要のない考えだと説明してきました。

考えの背景には、先に書いた以外にも人によって様々な事情があるとは思いますが、いずれにしても目先の極端な考え方で思い詰める必要などありません。

地に足をつけて、自信を持ってやっていけば大丈夫です。

補足しておきますと、危機感を持つこと自体は悪いことではありません。
危機感は上手く利用することで、何かを成し遂げる際の強力な味方にすることができるからです。

また、勘違いしてほしくないのは、
どうなっても食べていけるという考えがあるから、全てを投げやりにする、はじめから何もかも諦めていいというわけではありません。

今より幸せになりたいのなら、そのための努力は必要不可欠です。

生きていくための土台やセーフティーネットが整っている。

だからこそ、頑張ることができる。

やりたいことや自分の可能性を広げることに、失敗を恐れずチャレンジしていけるという考えを持つことが大事なのではないでしょうか。

Follow me!